スティーヴの素晴らしいミュージック・ジャーニーから写真とビデオを集めるスクラップブック・ページです。

1975-1976

スティーヴのキャリアの最初期、ゲイリー・ライトとのお仕事です。

GARY WRIGHT/Love Is Alive

GARY WRIGHT/Dream Weaver

GARY WRIGHT/Love Is Alive (Live)

スティーヴが『ラヴ・イズ・アライヴ』のライブ・ビデオに関しての思い出をおしえてくれました。

By the way, that live clip of Love is Alive has the first “Intro Tape” I ever made. Gary had a friend with a home studio outside of Boston and he had lots of keyboards and we were just trying to come up with something to record and I said “I have an idea” and we made that intro tape – Gary used it live. And whoever put this clip together included it.

Also this tour was after my initial tour with Boz. Gary asked me to come back and do this 10 city stadium tour. It included a sold out concert at RFK stadium (which does not exist anymore) 120,000 people. On July 4, 1976 (America’s bicentennial)

(日本語訳)
ちなみに『ラヴ・イズ・アライヴ』のライブ・クリップには、僕が初めて作った「イントロ・テープ」が入っているんだよ。ゲイリーにはボストン郊外に自宅スタジオを持っている友人がいて、たくさんのキーボードを持っていたので、皆でただ録音するものを考えていた時に僕が「アイデアがある」と言って、そのイントロ・テープを作ったんだ。ゲイリーはそれをライブで使ってくれた。このクリップを作った誰かはそれごとまとめたんだね。

また、このツアーはボズとの最初のツアーの後のことだった。ゲイリーは僕に、この10都市のスタジアムツアーに戻って来るように依頼してくれた。これには、RFKスタジアム(今はもう存在しないのだけど)での12万人の観客で完売したコンサートも含まれていたんだよ。1976年7月4日(アメリカ建国200周年)だった。

 

このゲイリー・ライトとのスタジアム・ツアーの規模の凄さはこの写真でもわかるでしょう。

1976年6月12日、フィラデルフィアのJFKスタジアムでのYES、ピーター・フランプトン、ゲイリー・ライトのコンサートは13万人もの観客を集め、フィラデルフィアの歴史の中でも最も大きなコンサートの一つだそうです。この大舞台にゲイリーと共にステージに立ったスティーヴは当時18歳!彼の天才ぶりがわかりますね。


またご存知のとおりゲイリー・ライトと同じく、ボズ・スキャッグスもスティーヴの初期のキャリアにとって重要な人物です。

BOZ SCAGGS/Lowdown

BOZ SCAGGS/Lido Shuffle

スティーヴがボズ・スキャッグス・バンドで演奏していた時代の思い出を教えてくれました!

Q.あなたとあなたの兄弟のジェフとマイクがボズのビデオ「ロウダウン」と「リド・シャッフル」に出演していることは音楽ファンにはよく知られていますが、あなたたちは一緒にどのくらいの期間ボズとツアーをしましたか?

I don’t remember exactly. I’m going to have to look up the dates for you. I know that I started on the first tour after they finished “Silk Degrees” along with Jeff. We toured for a while. Then we did another tour and Steve Lukather joined us. Jeff was still playing drums at that point.
Then Jeff started going back-and-forth and there were a lot of replacement drummers and at one point, my brother Mike joined us. I know that Mike continued on long after I stopped touring with Boz. Again, there was a lot of back-and-forth and I don’t know the exact dates of When who toured exactly when.

(正確には覚えていないんだ。日程を調べてみるよ。『シルク・ディグリーズ』録音終了後の最初のツアーにジェフと一緒に参加したことは覚えている。僕たちはしばらくツアーをした。それからまたツアーをやって、スティーヴ・ルカサーが加わった。その時点では、ジェフはまだドラムを叩いていたよ。
その後、ジェフがバンドを抜けたり戻ってきたりするようになって、代わりのドラマーがたくさん出てきて、ある時、兄のマイクが加入したんだ。僕がボズとのツアーをやめた後も、マイクはずっと続けていたんだ。繰り返しになるけど、何度も出入りがあって、誰がいつツアーをしたのか正確な日付はわからないんだよね。)

Q.ボズ・スキャッグス・バンドとのツアーでの最高の思い出は何ですか?

My best memory from touring with the Boz Scaggs band was of course playing with my brothers first of all and also just being a part of it. Also working with Boz itself. He was such a great boss to work for. He was very generous. It was such an exciting time “Silk Degrees” was very, very successful and the record company and management were always close by and there was always this very celebratory mood in the air. Of course at one point, Columbia records pretty much saw the band that was to become Toto. So there was always this great excitement in the air. A lot of anticipation about what was to come.

(ボズ・スキャッグス・バンドのツアーでの一番の思い出は、まずもちろん僕の兄たちと一緒に演奏したこと、そしてただその一員であったこと。そしてボズと一緒に仕事をしたこと自体だね。彼は仕事をする上でとても素晴らしいボスだったし、彼はとても寛大だった。『シルク・ディグリーズ』が大成功して、レコード会社やマネージメントがいつも近くにいて、いつもお祝いムードが漂っていた。もちろん、ある時点でコロムビア・レコードはTOTOになるバンドをほぼ見抜いていたね。だから、常に大きな興奮が漂っていた。これから何が起こるんだろうという期待でいっぱいだったよ。)

Q.あなたは「リド・シャッフル」のビデオでキーボード・ソロを弾いていましたが、演奏するのが一番好きなボズの曲は何ですか?

We mostly played a lot of songs from the “Silk Degrees” album on the tour. ‘Lido Shuffle’ was one of my favorites. I got to play two Mini Moogs at once! But I loved playing all the songs. Especially ‘Lowdown’ and some of Boz’s older songs like ‘Dinah flo’.

(ツアーでは、アルバム『シルク・ディグリーズ』からの曲を多く演奏した。中でも 「リド・シャッフル」はお気に入りだったね。僕はMinimoogを2台同時に演奏したんだよ!でも、どの曲を演奏するのも楽しかった。特に「ロウダウン」、そしていくつかの「ダイナ・フロー」みたいなボズの古い曲は最高だった。)

Q.あなたはとても若い頃から才能あるキーボード奏者であり作曲家でもあります。ボズ・スキャッグス・バンドでの経験はあなたに影響を与えましたか?

It influenced me very much and that it gave me a lot of confidence at a time when I didn’t have very much. I wasn’t a keyboard player in the way that David Paich, Jai Winding, Randy Kerber, or a lot of the other guys who played with Boz were. I had yet to really develop my own niche. And Boz, as an artist and writer was very influential on all of us.

(それは僕に大きな影響を与え、あまり自信がなかった時代の僕に大きな自信を与えてくれたよ。僕はデヴィッド・ペイチやジェイ・ワインディング、ランディ・カーバー、ボズと一緒に演奏した他の多くの人たちのようなキーボード奏者ではなかった。僕はまだ自分自身の得意分野を開拓していなかったんだ。そしてボズは、アーティストとして、ライターとして、僕たち全員に大きな影響を与えてくれた。)

More content coming soon…

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